罪はしたら罰(=何らかの苦痛)を与えられる行為、普通は苦痛を避けようとするので罪と決められた行為をする人は減る(避けようと考えるのが責任能力か?) 悪は罪とすべきこと、減らすべき行為(→減らしたい行為)=苦痛を生む行為
暴力を受ける 耐え切れず逃げ出す 敵に追いつかれ、逃げ切れない/他の場所では生きていけない 闘って、殺すしかない 殺して暴力を止める(しかし殺すのは暴力)
暴力が制限されるなら、最初の暴力も制限される(制限するには暴力を用いるしかない) 暴力が許されるなら闘うことは許される
罰は闘いの代わりに第三者が与える 何のために? 自分で闘うよりも罰を与えてもらった方がよいと考える者の集団が契約を結ぶ
殺すことと殺されないことを同じ程度に欲している人は、殺人に罰を与える機械が欲しいか欲しくないか決定することができない?
契約外の他者が受ける暴力に口を出すことができるか 動物、生まれていない子供、奴隷 他者が苦痛を受けることを苦痛だと感じることがある(ヒュームが共感と呼ぶ)  これは特別なことだろうか? ある者が、未来のある者自身が幸せであることを欲する/苦痛を受けないことを望むのと同じなのではないか